築40年の木造住宅のバリアフリーリフォーム

実家のリフォーム(竣工:2011年12月)

実家のリフォーム_外観

 茨城県古河市の私(石嶋)の実家、木造2階建戸建住宅のフルリフォームの計画です。私も古河(当時は猿島郡総和町)に引っ越した5歳から中学を卒業する15歳まで生活し、小山高専の寮に入って家を出てからも長期休みには帰省していました。
 そもそも小さな母屋を祖父と祖母が建て、そこに両親が平屋を増築し、小4になった私に個室を与えるために2階を載せる増築をしたため様々な不具合があり、建築設計を生業としている私にとっては恥ずかしい実家でした。
 私が独立した頃、建替えの話しもあったのですが、建設費がおさまらず足踏みをしていたところ、2011年3月の東日本大震災で外壁や基礎等にクラックが入ったため、耐震補強も兼ねた全面リフォームに踏み切りました。

 これまでの家は6畳の部屋が複数あるだけで大きな部屋がなかったため食事も各自別々で、家族のまとまりが希薄な家でした。これを今回のリフォームで改善したいというのが私の密かなコンセプトでした。常に家族がLDKにいて、ワイワイガヤガヤ賑やかな家が私の理想の家でした。
 私は、家の中心に24畳の大きなLDKを設けることで、帰宅した時、風呂に入る時、個室に行く時、どこへ行く時でもLDKを通過するような間取りをつくりました。
 父は脊髄の病にともなう麻痺があり、かつ2人の妹は脚に障がいがあるため、2階に行くことは厳しく減築も検討したのですが、2階建のボリュームをそのままにした方が建設費が安かったため、大きな吹抜を持った開放的なLDKができあがりました。
 LDKには、ピアノの教師をしていた母のためにアップライトピアノを置き、自由に弾けるようにしました。私の息子も小6までは東京でピアノを習っており、帰省のたびに母に厳しい即席レッスンを受けていました。 
 両親と2人の妹にこれまでなかった個室を用意しました。父は晩年には消化器系の病も患い長時間トイレいることが多くなったため、大好きな富士山が見える位置にトイレを設けました。その父も今は亡くなり、私たち家族が帰省した時の寝室として利用しています。

 バリアフリー対策にも注意をはらいました。教科書通りにつくるのではなく、ヒアリングをし、実際にテストを行ってひとつずつ対策を決めていきました。廊下は狭い方が両手で手すりを持てるので身体を支えやすい、玄関は適度に段差があった方が靴が履きやすい等、セオリーからははずれている部分も多々ありますが、自分たちの障がいと住み心地を勘案してベストなかたちを導き出しました。なお、このリフォームにあたっては、茨城県の重度障害者(児)住宅リフォーム助成事業の助成金を利用しました。

 和瓦は下ろして軽いガルバリウム鋼板葺きとし、外壁は窯業系サイディングをはりました。城好きの父が「烏城のようにしたい」という鶴の一声で外観は濃いグレイとしました。外観のボリュームに変化はありませんが、吹抜上部に設置した大きなはめ殺しの窓が立面にアクセントを与え、遠くからでも視認できる住宅となりました。

外観

リフォーム前

リフォーム前

ロフトから見る

LDK

ロフトへの階段

工事中

工事中

計画地 茨城県古河市
用途 専用住宅
家族構成 私の父、母、妹、妹
延床面積 105.17m2(31.81坪)
階数 地上2階
構造 木造